ポニッテ丸の 「いがくぶせいかつ!」

弘前大学医学部2年。こちらには浪人時代からの記事をまとめています。

「死生学」とは何か?

 某国語科講師によると、死生学は東大の一大研究テーマであるそうだ。わたしがこのことをふと思い出したのは、図書館で次に読む本を探していたときである。実際に読み始めるまでは、「死生学」という言葉から連想されるような「生と死を一緒に考えるのだろうな」といった安易なイメージは持っていたものの、その内容は全く知らない状態であったのである。
 わたしはこのシリーズ「死生学」を読破したわけでもなければ、1巻でさえ ざっと読んだだけである。それにも拘らず今こうして書き残しているのは、今の「少しでも自分なりに理解できた。この整理できた状態を記録しておきたい。」という気持ちからである。そして、文章力に関しては原文と比べられないほどの拘泥の差があることや、誤解があるだろうことは理解しているが、大筋はおそらく合っているだろうという甘い希望も存在するから書いている。そして、いま何かの間違いでこの記事を読んでしまった方の中で、少しでも興味を持った方には原文を読んでほしいと心から思う。
 この場ではまず、「死生学とは何か」という根本部分を自分なりにまとめたい。これはシリーズ『死生学』の最初の部分に書かれている内容である。

 


なぜ「死生学」が求められるのか

①臨床死生学から

 まず、医療現場から死生学の必要性が訴えられているという。それは、現代の日本ではほとんどの人が病院で死を迎えるが、「死」さえも医療システム化する近代医療のケア機能の弱さが露呈したからである。(このことは近代医療の欠陥とも表現されている。)

 すなわち「親しい看取りの人々から切り離されて医師という専門家が管理し、決定する死(=脳死判定など)は本来の死ではないのではないか?」という問いによるものである。

 ここでは、柳田邦男の『犠牲ーわが息子・脳死の11日』が紹介され、1つの方針が示されており、その内容は以下のとおりである。


 「『二人称の死』の視点を」という言葉に要約される、三人称の視点で死と向き合う医師の立場からではなくかけがえのない他者の死と向き合う遺族の視点から死とは何かを考えるべきだ。

 
②医療の発達によるもの

 医療の発達とともに医療が介入してよい限界線をどこに定めるかということへの関心が、専門家のみならず市民の間でも高まらざるを得ない状況になったからである。それは一方では死に直面した患者や家族のニーズに応じるためであり、他方では生命倫理に関わる問題に対処するためであったりする。

 
③伝統や文化の退廃

 伝統的に受け入れられてきた「死生」に関する儀礼や文化が市民にとって馴染み深くなくなってきているからである。このことは、本文では「死に向き合うすべを知らない」と表現されている。

 


④「いのちの尊厳」への感受性の低下

 「いのちの尊厳」とはすなわち「いのちの大切さ」と捉えても大意は変わらないだろう。「いのちの尊厳」への感受性の低下、これはすなわち旧来より人命が軽んじられる機会が増えたということだと考えられる。

  • 虐待や自殺、心中、いじめによる死、ホームレスの襲撃といったことが取り沙汰される現状が杞憂のものでないという懸念が高まっていること
  • 強い科学技術に見合うだけの「いのちの重み」の実感は持ち続けられるか?」という問いに重きが置かれるようになったこと

 こうしたことも死生学が求められるようになった要因である。

 


最後に、域外の喪失感や、心理的欠乏感の蔓延も作用しているとされている。

 


死生学が探求しようとする領域

  • 死にゆく過程とその看取り
  • 喪失と喪の仕事
  • 葬送と慰霊、追悼
  • 死者とともにあることの文化
  • 死生観の歴史と比較
  • 生命倫理の大部分 : 尊厳死脳死の定義、自殺に関する諸問題、生殖・中絶・出産に関する生命倫理問題など

 

死生学の興隆

 唯物論や近代科学がその根本にあり、臓器移植などについても日本ほど抵抗のなかった欧米の”Death Studies”とは異なり、日本の「死生学」は独自の性格を持っている。日本では「人類の死生観は多様で複雑であり、それは十分研究に値する」と早くから認知され、その学問体系が古今東西の死生観の比較研究を踏まえたものになっているという点が違いとして大きい。

 また、欧米の「死生学」に相当する学問は”Death Studies”、”Thanatology” (Thanatos(死)+Logos) であるが、直訳すると「死学」と表現されることからもわかるように「死」のみを切り離して主体としている。一方、日本を含め東アジアでは儒教道教、仏教の影響も受けたことで「死と生は表裏一体である」という思想が死生学の根本にあり、より広い領域を研究対象としているようである。

 


学問体系として

「死生学は医療と人文・社会系の知との接点で求められている。」


 死生学はその性格から、様々な分野の諸問題が絡み合って成立する問題を扱う。したがってその解決には、伝統(=死に向き合うすべ)からの疎隔をも踏まえ、異文化の視点に配慮しつつ改めて文化伝統の今日的意味を問おうとする態度と、様々な研究分野の交流が必要である。

 そこで「死生学」はグローバル時代において文化研究がどのように進むかについての1つの好例になりうるまとめられている。ここに「越境する知」が見え隠れする点が、東大らしいと東大生でも東大受験生でもないのに感じるのである。

 

参考図書『死生学1 死生学とは何か』/東京大学出版会

死生学1 死生学とは何か

死生学1 死生学とは何か

 

  

最後に

 この『死生学』ですが、頭に叩き込もうとしなければ決して読みにくい文体ではないので、医療方面の方や東大受験生に限らずぜひ読んでいただきたいと思っています。

 そして、気が向いたらまた続きを書きたいと思っています。拙い文章をお読みいただき、本当にありがとうございました。誤解があればご指摘いただけると嬉しく思います。